水の都大垣には、四季を彩る味と、城下町にふさわしい味の文化があります。伝統ある地酒、大垣の水をふんだんに使い、ほのかな酒の香りのある「金蝶園饅頭」、夏の風物詩「金蝶園の水まんじゅう」、豊かな美濃の大地から生まれた「柿ようかん」、手焼きの伝統を守る「みそ入りせんべい」など、郷土の味をお楽しみください。 |
明治4年(1871)7月の廃藩置県によって、大垣藩は大垣県となり、さらに同年11月、美濃の諸県は岐阜県に統合されました。その後、明治21年(1888)4月、市制・町村制が公布され、大垣は明治22年6月、近くの14か村を合併し、大垣町となりました。以来、大正7年(1918)まで、大垣町として今日に至る発展の基礎づくりが進められてきたのです。この間、連年の大洪水や濃尾大震災により、生活の貧窮はその極に達していました。しかし、明治末から大正にかけて、木曽三川分流工事の完成、東海道線・養老線の開通などにより、町勢は大いに伸長し、今日に至る発展の基礎づくりが進められてきたのです。ちなみに、大垣の名は、暦応3年(1340)の「大井荘花厳会料名寄帳」(東大寺文書)に「大柿」とあるのが初見で古来、大垣と大柿が併用されてきました。 |
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